五百井飛鳥のベトナムライフ

『外国でのんびりスローライフ』

嘘みたいなホントの話

あれから、もう7年ほどになるのかな。

まだ当時は、日本からの依頼で設計の仕事をしていた。

そして、突然打ち合わせのために、帰国の依頼。

なので、慌てて帰国して、無事お仕事も完了。

 

 

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3日後、ホーチミンに戻るために空港へ。

事件は、空港のチェックインカウンターから始まった。

私のパスポートを見たスタッフさんが首をかしげている。

そして、私に言った言葉が「ビザ切れてますよね」

 

 

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えっ、そうだ!シングルビザで更新してたんだった。

頻繁に外国に出ることがなかったので、シングルビザにしてたんだった。

一般の日本人旅行者の方は、帰りのチケットがあるから入国に問題なし。

けど、私は帰りなのでチケットもなしで、入国できないかも。

 

 

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そこで、とにかくホーチミンまで行かせてくださいとお願い。

帰ってきた言葉が、「絶対にケンカなんてしないでくださいね」って。

そして、タンソン・ニャット空港の入国審査。

私は、迷惑がかからないよう、一番奥の最後尾に。

 

 

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いよいよの入国審査、とりあえず、ことのあらましを説明。

とにかくすぐにビザの更新をするので、2日だけでもいいから入国の許可をお願い!

そして、書類の下に置いた50万ドン紙幣を見えるようにして・・・

ちらっとお金を見た係官、隣の人に相談するからと席を立った。

 

 

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ドキドキで待ってる私に、戻ってきた係官の返答。

「じゃ、2週間の入国許可にしとくから、早くビザ更新してね」って。

ほっとた私の顔を見て、にっこりしながら、更にもう一言。

「相談したから、隣の人の分の50万ドンもくれる?」なんてことを。

 

 

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これ、嘘みたいなホントの話。

入国ゲートで待ってたロイも、出てくるのが遅いので心配してたみたい。

このこと話したら、もうすっかりベトナム人になってるって、呆れ顔。

ちなみに50万ドンは、だいたい2500円前後、2人分で約5000円のお支払いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベトナムの麺文化

ベトナムは、お米の文化といわれます。

そして、そのお米を使って、米粉の麺も発達しました。

ですので、独特の麺文化も根付いています。

ベトナム国内には、様々な麺があるんですよ。

 

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 (phở)

日本の方が知っているのは、やっぱりフォー(phở)でしょう。

北部が発祥のベトナム面の代表格です。

米粉の平麺で、柔らかめですが、コシもあります。

フォー・ボー(牛肉)やフォー・ガー(鶏肉)が有名ですね。

 

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 (Bún)

ベトナムでは、最も消費量が多いのがブン(Bún)です。

フォーに比べてもかなり細め、日本の素麺って感じですね。

私は、素麺風に食べることが多いですが、様々な料理にも使われています。

汁麺以外にも、やきそば風に、炒めて食べることもあります。

 

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 (Bánh Canh)

私が一番好きな麺が、バンカン(Bánh Canh)。

かなり、うどんに近いかな。

タピオカ粉で作る丸麺で、つるんとした食感がとても美味しいですよ

中部以南では、米粉で作られているそうです。

 

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 (Miến)

ミエン(Miến)は、日本の春雨のような麺です。

汁麺にしても美味しいし、炒め物にも最高です。

ローカルでは、好きなだけ袋に入れてもらう量り売りです。

さすがに観光では無理なので、お店で味わってください。

 

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 (Bún bò Huế)

街歩きをしていると、よく見る看板が、ブンボーフエ(Bún bò Huế)。

ブンがベースの麺料理は、名前にも必ずブンが入っています。

もともとはベトナム中部にある古都フエの郷土料理でした。

その美味しさから、べトナム全域で、食べられるようになりました。

 

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まだまだ、米粉で作った麺がたくさんあります。

そして、小麦が原料の中華麺ももちろんありますよ。

麺料理は、都心部でもローカルでも、どこでもお店が出ています。

きれいな食堂も良いですが、風情のある屋台で食べるのもグッドですよ。

 

 

 

眼精疲労と角膜減ヘルペス

先月に入ってしばらくしてからのこと。

パソコン見続けて、目がかゆい。

ついうっかり、ごしごしとこすってしまった。

その瞬間、久々に「奴」が顔を出してきた!

 

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そう、初めて「奴」に出会ったのは、もう20年以上前になるかな。

朝、仕事に出ようと思って、あれって感じで、目の痛みが来た。

なんとか眼科に行って、診察。

そこで、先生に言われたのが、角膜ヘルペス

 

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 すぐに治るかと思ったんだけど、魔の宣告が・・・

痛みが治まっても、ヘルペスが死滅するわけじゃないって。

もう宿主になってしまったので、一生付き合っていかないといけないとか。

それからは、「奴」と一緒に共存することに。

 

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「奴」はだいたい10年前後に一度くらいのペースで出てきてる。

以前に出てきたのは、ベトナムに来た頃だったね。

特に、目の疲れがきつくなって、目をこすったりしたらてき面に。

今回も、眼精疲労を自覚してたし、目のかゆさでがっとこすったことから。

 

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ヘルペスはウィルスの一種なんだって。

コロナと一緒で、ホントお騒がせ。

おかげで、仕事のペースががた落ちで、予定の60%もできなかったよぉ。

今、ガイドのお仕事も休業中だし、今月はきびしいなぁ。

 

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今の生活は、仕事も娯楽も、ずっとパソコンと対面。

目が疲れるのもしょうがないんだけどね。

なので、しばらく仕事したら、ベランダに出て、遠くを眺める。

お隣の屋根越しに見える緑と青空、心地よいね。

 

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

 

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先日、突然に頭に浮かんできた詩。

ベトナムで生活してて、たまに孤独感に覆われることも。

今は、一緒にランチしたりできる友達もいないし。

話し相手は、愛犬のコロンだけ。

 

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日本にいる頃から、一人には慣れてたはずなんだけど。

深夜とか、ふと、孤独や寂しさでいっぱになることあるね。

室生犀星の詩では、街に故郷の言葉を聞きにでる。

懐かしい言葉を聴いて、涙ぐむんだよね。

 

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私も、この半年ほど日本語での会話ってしてなかった。

でも、先日、スマホ買ったのをきっかけに、中学時代の懐かしい友達と遭遇。

そこから輪が広がって、たくさんの友達と電話で話ができたんだよ。

やっぱり落ち込んでたのか、そこから急に目の前が明るくなったような気がする。

 

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室生犀星は、街に同郷の人の言葉を聞きにいったのだけど、私は違う。

これまで。国際電話ということもあって、電話をすることもなかった。

でも、現在はネットの普及もあって、私のような境遇の人も助けられるね。

私の故郷は、すぐ目の前にあって、いつでも帰ることができるんだよ。

 

 

 

 

 

 

海外移住を夢見た頃

小学校2年生の、1年にわたる一人ぼっちの自宅療養。

窓から、友達が楽しく遊んでいる姿を見るもの辛かった。

朝、両親が仕事に出たら、暗くなるまで一人ぼっち。

お昼に、ご飯を作ってくれるおばさんが来るだけだった。

 

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なので、1日の大半は、机の前に座っていたね。

目の前には、世界地図が貼ってあって、地図の周囲には様々な国旗。

ひたすら、その国旗をスケッチブックに描く毎日だった。

しばらくしたら、世界中の国の旗と首都を覚えてたよ。

 

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そんなとき、いろんな国があるけど、どんなところなのかなって。

今みたいに、ネットもないし、数冊の本があるだけ。

数少ない情報から、いろんな想像を膨らませていったかな。

その頃からだね、強く思い始めたの、世界に「行ってみたい」って。

 

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最初に憧れたの、ヨーロッパだったかな。

本にも、たくさん風景が掲載されてたしね。

成長するにつれて、大自然のあるカナダに行きたいって思いだした。

その夢が壊れたのが、高校になってから。

 

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その頃、頻繁に通ったのが海外移住事業団、今で言うJICA(ジャイカ)。

そこで宣告されたのが、技術がないと移住先に推薦できないって。

更に先進国では、受け入れ職種が公になっていないとか。

なので、届けを出さないと、事業団でも合否がわからないって。

 

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そして、外国語が話せるというのは、技術ではないってことも。

その時は、語学系の学校に進路も決まっていたからね。

そんなこと、今更言われてもって感じだったのを覚えてる。

その時から、何十年も経った今、私は実際に外国で生きてる。

 

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それも、まったく予想だにしなかったベトナムという国で。

今では世界情勢も変わり、自由に外国で生きていけるようになったよね。

移り住んで10年目に突入して、もうしばらくはこのままでいるつもり。

でもね、何か大きな変化が起こるようなら、別の国もいいかなって。

 

コロナウィルスにBCGが有効だったとか

もう何年前になるのかなぁ、結核菌に体が占領されたの。

そう、それは小学校の2年の頃、もう遥か昔のお話。

この時、元気一杯の私は。子供の定番みずぼうそうに感染。

何とか治った後の登校1日目で、今度ははしか。

 

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どちらも、子供時代に感染しておく病気って言われてたけど。

でも、続けての闘病は、子供の体力ではちときびしかった。

そして、はしかも治ってから、事件が発生。

それは、登校後すぐにあった、ツベルクリン予防接種。

 

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その結果で、陰性(だったかな)反応が出て、BDGを打つことに。

今、コロナでも話題になったBCG、免疫のために誰もが打つんだけどね。

ところが、病み上がりの私には、ドクターストップが出ていた。

それを。なんというか、担任の先生が他のクラスメイトと間違えて。

 

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 その結果、結核菌が予想もできないところに転移して、動けなくなった。

当時は、CTやMRIなんて機械はまだ存在せず、大学病院にある断層写真で検査。

宇宙飛行士の訓練をする時のような大きな機械だった記憶がいまでも残ってる。

更には、骨髄からの液を取る注射が、何度も何度も続いた。

 

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この注射、大人の人でも悲鳴をあげるほどなんだよ。

私の記憶に、その痛さは残ってないけどね。

でも、注射後にかなりの時間動くことができなかった。

それまで、元気すぎる子で、山の中を走り回っていたのに。

 

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結局、投薬・検査を続けながら、1年間は軟禁生活のような自宅療養に。

今なら、学校が起こした医療ミスで大騒ぎだよね。

大きくニュースにもなりそうだけど、補償も何もなかったみたい。

その代わり、先生が頻繁に来てくれて勉強もでき、留年もしなかった。

 

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コロナに強い(のかな?)結核菌に、振舞わされた時代だったなぁ。

両親は商売してたから、朝家を出てから、帰宅の夜まで一人ぼっち。

そんなんで、引き篭もり生活や一人ぼっちにも、慣れることができた。

ただ、この時の1年間が、今の海外移住に繋がったことは間違いなし。

 

その話は次の回で、乞う期待!

 

 

 

路線バスで車内販売

新幹線や長距離列車に乗ると、定期的に現れる車内販売。

私も、アイスとコーヒーは良く買ったなぁ。

でも、今回の車内販売はホーチミンのお話。

それも、なんと路線バスで車内販売。

 

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ホーチミンでも、市内を巡っている路線バスにはありません。

たいていが、市外に出て行く路線バスでのこと。

私が利用しているのが、622番系統のおんぼろバス。

チョロン・バスターミナルから、ロンアン方面に向かいます。

 

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チョロンを出て少しいくと、数ケ所目のバス停で、ことは起こります。

そこだけは、乗客の乗り降りがなくても、必ず5分から10分ほど停車。

数人のおばちゃん(たまにおっちゃん)が手にいっぱいの商品持って乗り込んでくる。

飲み物を持ってるおばちゃんやバケットやミニ食パンなんかを持ったおばちゃんが。

 

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更には、うずらのたまごやちいさなさつまあげ、そしてロトくじも。

私の場合、パン売りのおばちゃんに、しっかりと顔を覚えられているようで・・・

私を見たら、にゃって笑って、必ず購入させれられる(笑)。

まあね、このバケット美味しいから、別に問題ないのだけど。

 

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多い時は、バケット・ミニ食パン・うずらのたまごにさつまあげまでもをお買い上げ。

うずらは、愛犬コロンのお土産で、私の口には入らないのですけどね。

こんなに楽しいベトナムの路線バス。

一度、乗ってみてはいかがでしょう。