もう何年前になるのかなぁ、結核菌に体が占領されたの。
そう、それは小学校の2年の頃、もう遥か昔のお話。
この時、元気一杯の私は。子供の定番みずぼうそうに感染。
何とか治った後の登校1日目で、今度ははしか。
どちらも、子供時代に感染しておく病気って言われてたけど。
でも、続けての闘病は、子供の体力ではちときびしかった。
そして、はしかも治ってから、事件が発生。
それは、登校後すぐにあった、ツベルクリン予防接種。
その結果で、陰性(だったかな)反応が出て、BDGを打つことに。
今、コロナでも話題になったBCG、免疫のために誰もが打つんだけどね。
ところが、病み上がりの私には、ドクターストップが出ていた。
それを。なんというか、担任の先生が他のクラスメイトと間違えて。
その結果、結核菌が予想もできないところに転移して、動けなくなった。
当時は、CTやMRIなんて機械はまだ存在せず、大学病院にある断層写真で検査。
宇宙飛行士の訓練をする時のような大きな機械だった記憶がいまでも残ってる。
更には、骨髄からの液を取る注射が、何度も何度も続いた。
この注射、大人の人でも悲鳴をあげるほどなんだよ。
私の記憶に、その痛さは残ってないけどね。
でも、注射後にかなりの時間動くことができなかった。
それまで、元気すぎる子で、山の中を走り回っていたのに。
結局、投薬・検査を続けながら、1年間は軟禁生活のような自宅療養に。
今なら、学校が起こした医療ミスで大騒ぎだよね。
大きくニュースにもなりそうだけど、補償も何もなかったみたい。
その代わり、先生が頻繁に来てくれて勉強もでき、留年もしなかった。
コロナに強い(のかな?)結核菌に、振舞わされた時代だったなぁ。
両親は商売してたから、朝家を出てから、帰宅の夜まで一人ぼっち。
そんなんで、引き篭もり生活や一人ぼっちにも、慣れることができた。
ただ、この時の1年間が、今の海外移住に繋がったことは間違いなし。
その話は次の回で、乞う期待!