五百井飛鳥のベトナムライフ

『外国でのんびりスローライフ』

海外移住を夢見た頃

小学校2年生の、1年にわたる一人ぼっちの自宅療養。

窓から、友達が楽しく遊んでいる姿を見るもの辛かった。

朝、両親が仕事に出たら、暗くなるまで一人ぼっち。

お昼に、ご飯を作ってくれるおばさんが来るだけだった。

 

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なので、1日の大半は、机の前に座っていたね。

目の前には、世界地図が貼ってあって、地図の周囲には様々な国旗。

ひたすら、その国旗をスケッチブックに描く毎日だった。

しばらくしたら、世界中の国の旗と首都を覚えてたよ。

 

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そんなとき、いろんな国があるけど、どんなところなのかなって。

今みたいに、ネットもないし、数冊の本があるだけ。

数少ない情報から、いろんな想像を膨らませていったかな。

その頃からだね、強く思い始めたの、世界に「行ってみたい」って。

 

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最初に憧れたの、ヨーロッパだったかな。

本にも、たくさん風景が掲載されてたしね。

成長するにつれて、大自然のあるカナダに行きたいって思いだした。

その夢が壊れたのが、高校になってから。

 

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その頃、頻繁に通ったのが海外移住事業団、今で言うJICA(ジャイカ)。

そこで宣告されたのが、技術がないと移住先に推薦できないって。

更に先進国では、受け入れ職種が公になっていないとか。

なので、届けを出さないと、事業団でも合否がわからないって。

 

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そして、外国語が話せるというのは、技術ではないってことも。

その時は、語学系の学校に進路も決まっていたからね。

そんなこと、今更言われてもって感じだったのを覚えてる。

その時から、何十年も経った今、私は実際に外国で生きてる。

 

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それも、まったく予想だにしなかったベトナムという国で。

今では世界情勢も変わり、自由に外国で生きていけるようになったよね。

移り住んで10年目に突入して、もうしばらくはこのままでいるつもり。

でもね、何か大きな変化が起こるようなら、別の国もいいかなって。